World Communities Club (WCC)| 直輸入英会話

世界標準北米英語 = 北米文化の実践英会話 = World Communities Club

[2010.08.12]新しい講師がオンタリオ州オタワから加わりました。
[2010.08.07]新しい講師がオンタリオ州オタワから加わりました。
[2010.07.26]新しい講師がケベック州モントリオールから加わりました。
[WCC英会話では常に授業料還元等のキャンペーンを行っています。全生徒様が対象です。]

ニュー・ブランズウィック州の政府と政治

ニュー・ブランズウィック州の議院ニュー・ブランズウィック州には、一院制で55人の議員がいる議会があります。選挙は少なくとも5年に1回はありますが、カナダ副総督が知事と相談して行うこともあります。なぜカナダ副総督なのかはわかりませんが。知事は、議会で一番議席数の多い党の党首です。

ニュー・ブランズウィック州には、2つの勢力の大きな政党があります。自由党と新進保守党です。1980年代の初期から選挙権者の約10%が常に投票するので、新民主党も何人かの議員を議会に送ることができています。時折、連邦地域党などの他の党が議席を得ることがありますが、強い批判票があるときだけです。

ニュー・ブランズウィック州の政治の動きは、カナダの他州とは違います。ニュー・ブランズウィック州に、中心的な役割を果たす都会がないために、政府は州のすべてに関わる問題に対応しなければなりません。また、マイノリティーとはいえどもフランス語文化圏カナダ人が多いため、例え、政府が絶対多数であったとしても政策の妥協が必要となります。このため、ニュー・ブランズウィック州の政治の動きは連邦政治の動きと連動しています。

1960年から、ニュー・ブランズウィック州は、若いバイリンガルの知事を選んできました。このおかげで、最近のニュー・ブランズウィック州は、連邦の政界で突出して影響力を発揮しています。元知事バーナード・ロード(新進保守党)は、カナダの保守党の党首候補として勧誘されていました。フランク・マッケンナ(1987~1997の知事)は、カナダ自由党を引っ張る先導者として見られていました。リチャード・ハットフィールド(1970~1987の知事)は、カナダ憲法の改革に積極的に関わりカナダの権利と自由の憲章をつくりました。ルイ・ロビショー(1960~1970の知事)は、大幅な社会改革に責任を持っていました。

2006年9月18日に、自由党は55席中29議席を取得し過半数を占め、38歳のショーン・グラハムがニュー・ブランズウィック州の知事となりました。

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サスカチュワン州雑学

1977年のライセンス・プレート
北西の暴動
  • サスカチュワン州で登録した車のライセンス・プレートは、3本の麦が描かれ、「生きている空の土地」というスローガンが書かれています。
  • サスカチュワン州の紋章には、黄色の平原にいる赤いライオンが描かれていますが、この通常の紋章での決まりを逆にしているのは、本格的に入植がはじまる前に、まだサスカチュワン州がなくノース・ウェスト準州であった時に起こったプレーリーの大火を示しています。
  • 1885年に、カナダ連邦ができた後始めて、海のないサスカチュワン州で「海戦」が起こりました。北西の暴動の時にバトーシェのメチスを蒸気船が攻撃したのです。
  • ムース・ジョーからジャーナリズムの活動を始めたピーター・グゾウスキーは、サスカチュワン州を「もっともカナダらしい州」だと言っています。

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ニュー・ブランズウィックの観光地

ニュー・ブランズウィックには多くの観光地があり、果てしなくその名前は連なります。

ニュー・ブランズウィック博物館
たとえば、カナダで最古で現役でもある、ニュー・ブランズウィック博物館、大西洋に長く伸びている砂丘(どちらかというとビーチに見える)や島や森を備えるクシーブーグワック国立公園、マクタクアック州立公園、ビーバーブルーク芸術展示場、1780年~1910年の町を再現したキングス・ランディング歴史的入植地、アカディアの歴史村、混雑具合がどこかの国を彷彿させるパーリー・ビーチ、奇岩が見れる絶景のホープウェル・ロックス、セント・ジョンの逆流の滝(残念ながら滝壺から水流が崖の上に昇るような超自然現象ではありません、川の逆流です)、下り坂なのにアクセルを吹かさないと後退してしまうマグネティック・ヒル(磁石の丘)、マグネティック・ヒルに近接している大西洋地域最大で400種類クシーブーグワック国立公園
の動物がいるマグネティック・ヒル動物園、モンクトンにあるアミューズメント・パークのクリスタル・パレス、同じくモンクトンにあるマジック・マウンテン・ウォーター・パーク(長いウォーター・スライドがあります)、アパラチア山脈の中にあるデボン紀(4億850万年~3億6300万年前)後期の火山であるシュガーローフ山のシュガーローフ州立公園、サックビル水鳥公園、207平方キロメートルもあり、25の滝や、干潮には9mの海底を歩いたりできるファンディー国立公園、41kmも続くファンディー遊歩道などがあります。

2010年7月現在のWCCの講師で、ニュー・ブランズウィック州出身者はJeri 講師です。

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ニュー・ブランズウィック州の経済

セント・ジョン
ニュー・ブランズウィック州の都会では、サービス産業が盛んで、医療、教育、小売店、金融、保険産業が主流となっています。
セント・ジョンでは、サービス産業に加えて、重工業や港湾施設もあります。
フレデリクトンでは、行政サービスや、大学、軍隊があります。
モンクトンには、重要な鉄道の駅や空港があり、商業センターや、小売、交通、配送センターとして発展しています。

フレデリクトン
田舎での主要な産業は、林業、鉱業、混合農業、漁業です。

林業は、ニュー・ブランズウィック州のどこでも重要な産業ですが、特に森林の多い地域ではそうです。自然の流れでしょうね。小さな町にもたくさんの製材所があり、大きなパルプ工場や製紙工場は、セント・ジョン、ミラミシ、ナカウィック、エドマンドストンにあります。
第1次産業と第3次産業が混在する、日本人的には、少し変わった経済ですね。

鉛や亜鉛などの重金属は、ニュー・ブランズウィック州の北方やバサーストで採掘されています。世界で最大規模のカリウムの埋蔵量を誇る町はサセックスです。サセックスでは、2つ目のカリウム鉱山が、10億ドル以上をかけて建設中です(2009年夏時点)。サセックスの地域では、石油や天然ガスの採掘も進んでいます。
モンクトン

農業は、ニュー・ブランズウィック州北西部にあるセント・ジョン川渓谷の上流部に集中し、ほとんどの場合主要な作物はジャガイモです。混合農業や酪農も、いたる所で行われていますが、特に南東部のケンネベカシスやプチコディアック渓谷に集中しています。

漁業での主要な海産物はロブスター、ホタテ、タラバガニです。パッサマクウォディー湾近辺の大西洋サケの養殖は地元経済には重要な産業になっています。

サセックス
ニュー・ブランズウィック州の最大の雇用主は、農林業や製紙業関連のアービング・グループ、林業関係の多国籍企業が数社、ニュー・ブランズウィック州政府、事業内容不詳のマケイン・グループのようです。

2010年7月現在、お休み中ですが、ニュー・ブランズウィック州出身のWCC講師はJeri 講師です。

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ニュー・ブランズウィックの人口統計

キャンプベルトン民族
ニュー・ブランウィックの先住民はミクマク族とマリシート族です。
始めてのヨーロッパの入植者はフランスからでありアカディア人と呼ばれましたが、ヨーロッパで続いた7年戦争(1754年~1763年)の北米での戦い「フレンチ・インディアン戦争(1754年~1763年) 」の勝利で北米を支配したイギリスがフランス人(アカディア人)を大追放したあと、戻ってきた人たちです。ニュー・ブランズウィックに戻らなかった人々は合衆国のルイジアナに移されケイジャンと呼ばれています。
その一方、ニュー・ブランズウィックの多くのイギリス系カナダ人はアメリカ独立戦争から逃れてきた王党派の人たちが多く、ニュー・ブランズウィックのモットー「希望は回復された」に良くその立場があらわされています。
セント・ジョンやミラミチ川にはアイルランド系が多く、ミラミチやキャンプベルトンにはスコットランド系が多く住んでいます。

2001年のカナダ人口調査では民族の内訳は以下の通りです。

フランス系 193,470 26.9%
イギリス系 165,235 23.0%
アイルランド系 127,635 17.7%
ドイツ系 27,490 3.8%
アカディア人 26,220 3.6%
先住民 23,815 3.3%
オランダ系 13,355 1.9%
ウェールズ系 7,620 1.1%

民族はバラバラですが、合計で415,810人(57.8%)が自らを「カナダ人」として認識しています。

2006年の人口はほぼ73万人であり、英語文化圏の人は64.83%、フランス語文化圏の人は32.61%で、両者で97%以上の人口を占めています。

宗教
基本的にはキリスト教で2001年時点の主な宗派は以下の通りです。

ローマ・カトリック教会 54%
バプティスト 11%
カナダ合同教会 10%
聖公会 8%
ペンテコスタルズ 3%

[ニュー・ブランズウィック州出身のWCC講師はJeri 講師です]

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ニュー・ブランズウィックの歴史

ミクマクのティーピーヨーロッパから入植者が来る前から、ニュー・ブランズウィックには先住民「ミクマク」が住んでいました。

[フランス入植者時代]
現在知られている限りでは、ヨーロッパから初めてニュー・ブランズウィックを探検したのは、フランス人探検家ジャック・カルチェです。1534年のことです(種子島に鉄砲が伝わったころですね)。
ファンディー湾それから1604年にピエール・ドゥグア・デ・モンとサミュエル・デ・シャンプレインに率いられた入植者が、ニュー・ブランズウィックと合衆国のメイン州の間にあるセント・クロア島で越冬し、翌年にはファンディー湾を超えてノバ・スコシア州のポート・ロイヤルに移動しました。続く150年間にフランスからの入植者はその地域に広がり、大西洋沿岸の地域は(現在の合衆国のメイン州も含め)フランスの植民地「アカディア」と呼ばれるようになりました。

ピエール・ドゥグア・デ・モンとサミュエル・デ・シャンプレインの探検の200年後、ヨーロッパで10年以上も続いたスペイン継承戦争(1701年~1714年)の局地戦が北米で、アン女王戦争(1702年~1713年)としてスペイン・フランス軍とイギリス軍の間で戦われました。1713年にユートリヒト条約で両戦争に関わった諸国の間で講和が行われた時、イギリスはフランスからノバ・スコシアを勝ち取りました。当時ノバ・スコシアには多くのアカディア人(フランスの植民者)が居住していました。ノバ・スコシアを取られたアカディアの残りの地域は人口も少なく防衛力も手薄でした。そのため、フランスはノバ・スコシアとの前線の間に2つの城砦を構築したのです。
セント・ジョン川ところが、北米で起こったフレンチ・インディアン戦争(1755年~1763年)とヨーロッパの七年戦争(1756年~1763年)の講和処理により、フランスは北米の植民地をほとんど失いニュー・ブランズウィックはイギリスの所有となりました。こうしてアカディアはイギリスに占有されノバ・スコシアの一部になったのですが、この戦争の間に両地域からアカディア人の大追放が行われました。一種の民族浄化です。アカディア人と長い間婚姻等を行い密接な民族関係を保っていたミクマクは、この時期のイギリス総督から賞金稼ぎの対象に指定され「狩猟」されたり殺されたり頭の皮をはぎとられる対象にされています。イギリス軍から隠れ数年間ゲリラ戦をしていたアカディア人もいましたが、イギリス軍は1758年、1759年にセント・ジョン川やアン要塞(現在のフレデリクトン)を落としいれ、現在のニュー・ブランズウィック州の地域を全て手中にしています。
フレデリクトン

[イギリス植民者時代]
七年戦争後は、ニュー・ブランズウィック(この時にはノバ・スコシアに併合されている)への入植はほとんど行われませんでした。
アメリカ独立戦争は、ニュー・ブランズウィックにはほとんど何の影響も与えませんでした。ただ、独立戦争終結後の1783年にジョージ3世に忠誠を誓う1万4千人の王党派がセント・ジョン川からニュー・ブランズウィックに難民として移り住んできています。しかし、この「難民」たちは、特別の地位を要求したので、ノバ・スコシアの住人からありとあらゆる嫌がらせや襲撃を受けたようです。その結果、55人の著名な商人や専門家たちがそれぞれに5,000エーカー(2万平方キロメートル)ずつ与えてもらえるようにノバ・スコシアに嘆願し、王党派のリーダーでもあったエドワード・ウィンスローもアメリカが羨むような場所を作るのだと強く迫ったので、1784年にニュー・ブランズウィック入植地が与えられたのです。これがニュー・ブランズウィック州の原型です。
18世紀後半から19世紀初めにかけて、戻ってきた追放アカディア人は新しいニュー・ブランズウィック植民地の海岸沿いに住み、他のコミュニティーと交わることはあまりなかったようです。
その一方、19世紀初頭の移民はスコットランドや西部イングランド、アイルランドからやってきました。大抵は一旦ニューファンドランドを経由しての移民でした。ただ、1845年からはアイルランドの「ジャガイモ飢饉」による移民が大量に到来しています。

ニュー・ブランズウィック州とアメリカとの国境は、アメリカ独立戦争を終結させたパリ条約では明確に決められていませんでした。このため、1830年代の終わり頃、人口増加と木材への関心が高まると国境を明確にする必要が出てきました。1838年から1839年の冬に状況は急速に悪化し、互いに軍隊を集め「国境」沿いに対立するアルーストック戦争が起こりましたが、話し合いにより戦争は終結し国境は1842年にウェブスター・アッシュバートン条約で正式に決まり、現在の州のエリアが決まったわけです。

冬のミラミチ川経済的には、19世紀の間、ファンディー湾やミラミチ川での木造船の建設がニュー・ブランズウィックの主要な産業でしたが、木材の伐採や農業など自然資源を利用する産業も大切な構成要素でした。

[カナダの州としての時代]
ニュー・ブランズウィック州は、1867年7月1日にカナダ連合を形成した4州の1つです。
シャーロットタウン(PEI)
1864年に大西洋沿岸諸州だけの連合について話し合うためにシャーロットタウンで会合が開かれたのですが、当時の南北戦争とアイルランド共和主義者同盟(IRB)の影響を受けた北米のフェニアン運動を恐れて、連合の話を大西洋沿岸州だけの話とはせず、カナダ全体の話としようという提案が当時のカナダ州(後のオンタリオ州とケベック州)からなされました。
このより大きな連合の話は、当時のリーダーたちの心を動かしたのですが、一般の人たちは連合が大きくなりすぎると自分達の関心事や心配事が無視されるのではないかと恐れ、次の選挙では主要なリーダーが落選するなどの「事件」も起きました。けれども、最終的にはより大きな連合の方に世論は傾いて行ったようです。
セント・ジョン: 鍛冶屋しかし、カナダ連合が成立した後は、「反対派」の心配は的中し、アメリカ合衆国のニュー・イングランドと大西洋沿岸諸州の昔からの貿易は中断されました。さらに悪いことには、1877年6月にセント・ジョンは大火事に見舞われ8万平方キロメートルを焼き、教会8つ、銀行6つ、11のホテル、14艘の帆船を含む1,600以上の建造物が焼かれ、同時に木造船建設産業が廃れてきたのです。この結果、熟練労働者は仕事を求めてカナダの他州や、アメリカに新天地を求めて去っていきました。しかし、20世紀にはいると、いくつかの生地工場の建設が始まり、重要な森林産業では、州内にばらばらにあった製材所が大きなパルプ工場や製紙工場への道を開いたようです。鉄道産業もモンクトンの地域では成長と繁栄をもたらしたのですが、失業率は依然として高く、大恐慌の影響も受けました。幸いな事にアービングズ家やマケイン家が現れ、森林産業や食品加工産業、エネルギー産業を垂直統合してニュー・ブランズウィック州の経済を立て直したのです。

北部ニュー・ブランズウィック州に住んでいるアカディア人は、南部の英語圏の社会から隔離され政府のサービスも英語以外では受けることはできませんでした。フランス語文化圏では社会インフラの整備が明らかに遅れていましたが、1960年に選ばれたルイ・ロビショー知事が、教育と、田舎の道路整備と医療制度を州の直轄事業にし、郡を廃止し田舎の地域を州直轄にすることで状況が変わり始めました。また、1969年には法律が制定されフランス語が公用語となりました。

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ニュー・ブランズウィック州の地理

ケネバケイシス川ニュー・ブランズウィック州は、北はケベック州のガスぺ半島、東はセント・ローレンス湾とノーザンバーランド海峡で囲まれていますが、最大幅24kmしかないシグネクト地峡でノバ・スコシア州につながっています。西は合衆国のメイン州です。

セント・ジョン川ニュー・ブランズウィック州の大西洋に接する海岸線は長いのですが、大陸性の気候で海からの影響はあまり受けていません。また、入植時も海からではなく川から上陸したようです。あとで述べるように海岸の高さが問題だったのかもしれません。

レスティグーシェ川有名な川は、セント・クロワ川、セント・ジョン川、ケネバケイシス川、ぺティコディアック川、ミラミチ川、ネピシグイット川、レスティグーシェ川などがあるようです。まるで、川でできた州のような感じですね。
カレドニア高地やセント・クロワ高地はファンディ湾沿いに続き、そのため海岸線は海抜300mの断崖になっているようです。植民者が上陸できなかった訳ですね。このファンディ湾は満潮時には水位が16mも上がり世界一でもあるそうです。

ネピシグイット川ニュー・ブランズウィック州はカナダでは小さな州ですが、それでも7万2千平方キロメートル以上あり、北海道に匹敵する大きさがあります。ただしその「大地」の80%は森林でおおわれ、農業はセント・ジョン川上流でのみ行われ、都市機能は南部にしかありません。

[2009年8月現在、ニュー・ブランズウィック州出身の講師はJeri 先生です]

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ニュー・ブランズウィック州の概要

ニューブランズウィック州ってどこ?ニュー・ブランズウィック州は、カナダで3つの(大西洋に面している)沿岸諸州のひとつです(後の二つはノバ・スコシア州とプリンス・エドワード・アイランド州、ニュー・ファンドランド・ラブラドール州は別のカテゴリーに属します)。
また、意外なことですが、英語・フランス語共に公用語であるとカナダ憲法で定められている唯一の州です。

フレデリクトンの市庁舎2009年の人口は、約75万人で、州都はフレデリクトンです。
ニュー・ブランズウィック州には英語文化圏の人が約65%、フランス語文化圏の人が約33%住んでいます。フランス語文化圏の人は、アカディア人(17世紀のフランス人入植者の子孫)であり、ケベック州に住むフランス語文化圏の人たちとは異なる文化と歴史とアイデンティティーを持っています。ジョージ3世フランス語も現代のフランス語と少し違うところが残っているのはアカディアのフランス語のことかもしれませんね。

ニュー・ブランズウィックは、カナダ建国前のイギリスのハノーバー家第3代の国王ジョージ3世の祖先の出身地、ドイツのブラウンシュヴァイク(ブルーノの村)の英語とフランス語の翻訳からつけられています。有能な王であったジョージ3世への思い入れがあったのでしょうか。

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